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老々介護を担う義父の緊急入院の知らせ│妻の両親(義父母)介護日記

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50代親(義両親)の介護
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妻の母親、つまり義母が脳梗塞で倒れ、緊急搬送されたのが昨年の2月。発見と手当が早かったのが不幸中の幸いで、手術で一命をとりとめた。

症状は重く、高次脳機能障害という脳に障害が残る結果となった。

手術直後は私の妻(娘)の名前も思い出せず妻に電話がかかってきても親戚の●●ちゃんと呼ぶなど話も全く噛み合わないことで、妻も私もこの先どうなるのだろうと不安な日々を過ごしたことを覚えている。

入院している間も夜中に電話がかかってきて誰から連れて帰ろうとしているから助けてほしい。など幻聴や幻覚に怯える電話が何度もあった。

そういった電話を受ける度に妻も精神的に弱っていくのを目の当たりにし何とかしないと妻まで倒れてしまうと本当に思っていた。

しかし、義父が毎日病院に詰めてくれていたお陰で義母も安心できる時間も増え、妻や親戚への電話の回数は徐々に減っていくこととなり、3ヶ月間のリハビリを経て記憶は曖昧ながら会話は徐々に成り立つようにもなり、着替えやトイレも介助を受けながら少しづつできるようになったらしく、無事退院の日を迎えることができたのが昨年の5月。

それからは義母と実家で二人暮らしをする義父が家事をしながら介護を行うといういわゆる老々介護状態が続いていた。

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突然の義父入院の知らせ

義父は80歳。耳は難聴ながら、若い頃に登山部で足腰を鍛えていたせいもありテキパキと家事をこなしていたようである。

夕食前には義母と一緒に散歩に出かけるなど介護生活は順調にうまく運んでいるように傍からは見えていた。

そんなある日のこと。事態は一変することとなる。

義父が眼の手術で緊急入院することになったという知らせを実家近くにすむ妻の兄弟から連絡を受けた。

朝昼晩の食事の支度や掃除洗濯、義母のお風呂やトイレの介助など1日中休みのない介護生活の疲れが一気に眼の疲れに出たのであろう。

網膜剥離を発症し、放置しておけば失明の危険があるということで緊急手術のため入院することになったのだという。

義父は糖尿病持ちで薬を毎日服用しており、それが少なからず眼の視神経にも悪影響を与えていたようである。

後で義父に聞くと、食事の支度をしている最中に突然視界が真っ暗になり、どうしようもないということで救急車を呼び救急病棟で診察を受けたところ、1日でも早く手術しないと失明する危険性があるということで緊急手術を行うことになったようである。

早期治療のかいもあり手術は無事成功したが、退院までは経過観察も兼ねて二週間以上かかるらしく、急に一人自宅に取り残された義母が妻の携帯に電話をかけてきては不安や心配を漏らすようになっていた。

妻がノイローゼ初期状態に

1日に4~5回、多い時で数時間毎に義母から妻の携帯に電話があり、大丈夫だから落ち着いてとなだめては数時間後にまた電話が鳴るという毎日が続いていた。

妻も電話があるうちは義母の生存確認もできるため割り切って電話を取っていたが、仕事中に何度も電話が鳴るせいでついにはノイローゼ気味ともなり、今度は妻も体調を崩しがちになり躁鬱がひどくなってきていた。

ある日妻がポロッとこんなことを漏らした。

「お義父さんが退院して落ち着くまで実家に行けないよね。。」

自分が仕事と育児を抱えながら遠く離れた実家の両親の世話をしに行くことは現実的ではないのは分かっていたこともあり、思わず口から出てしまったのではないか。

私もサラリーマンで仕事があるため簡単に飛行機で3時間かかる妻の実家の介護には行けないだろうと最初は考えていた。

「どうだろうか。。」

思わず、即答は避けてしまう自分がいた。

今考えればすぐにでも

「わかった」

と嘘でも答えてあげたらどれだけ安心させ楽にしてあげられたのだろう。

最初は結局、妻の親の介護を他人事としか考えていなかったのではないかと思う。

会社と調整を開始

毎日義母からの電話を受け、一通り落ち着かせて電話を切ったあと、大きなため息をつく妻を目の当たりにするにつれ、考えは少しづつ変わっていった。

このままの状態が続けば実家の義母の体調以前に、妻がノイローゼになってしまう。

よく考えれば妻の両親には若い頃はかなりお世話になった。

こっちでマンションを購入するときも何も言わず頭金を支援してくれたり、

子供達が毎年帰省するたびに楽しい思い出を田舎で作ってくれたり、

毎年阿蘇の温泉に連れて行ってくれたり、

ここで恩返しせずにいつ恩返しができるのだろうか。

そう考えたら居ても立っても居られなくなり、ふと気持ちが楽になった。

そう。何とかなるはず。

ただ順番がまわってきただけ。早かれ遅かれ歳を取れば自分にもいつかはその時が来るはず。

早速翌日、会社の上司に事実を正直に伝え、遠方でのリモートワーク勤務について理解を求めることに。

ちょうどコロナ発生以降はリモートワーク中心でコワーキングスペースでの勤務にシフトしていたこともあり、上司には仕事の成果は絶対に落とさない(KPIは達成する)というコミットメントをすることで二つ返事で許可を頂くこととなった。

会社の報酬形態が完全成果主義という点も今考えれば都合が良かったのかもしれない。

介護により仕事の成果が下がれば当然給料も自動的に下がる。

自分にとってはある意味リスクもあったが、優先順位と本当のリスクが何かを考えた場合、

自分が介護できないことによって義父母の病状が更に悪化することであったり、

妻が心労で体調を崩すことであったり、

受験を控える子どもたちにも悪影響を与えてしまうリスクのほうが自分や家庭にとっては大きいと考えた。

往路のみでLCC(格安航空券)を予約

仕事から帰宅し、早速妻に介護に行けることを伝えると、半分驚きながら妻の表情が一変し明るくなった。

その安堵の表情を見ていると、もっと早く伝えられればどれだけ良かったことかと心から思った。

それからすぐにLCCの一括比較予約サイトで最短での最安航空券を手配し翌日には実家に飛ぶことに。

格安航空券の一括比較サイトは時間的にもコスト的にもかなり助けられた。

結局熊本行きの往路のみを最短最安で予約し、現地に入ってから義父の退院後の状況に合わせて帰りの便は取ることに。

ちなみに熊本までは予約した日の2日後の便で片道7,000円というJAL、ANAの約4分の1の破格で購入することができた(Jetstar成田朝一発便)。

義父母介護帰省の旅。出発の朝

出発の日は早朝4時に起床。5時台の始発電車で成田空港第二ターミナル駅へ。そこから約500m程早歩きで第三ターミナルに向かい、ギリギリ搭乗時間6:55に間に合った。

LCCの利用は前回の帰省時に体験済みであり、今回も予約から搭乗まで迷うことなくスムースに行うことができた。

自分の人生においても妻の両親(義父母)の介護をさせて頂くという体験はそう簡単にできるものではない。

これまでの50年間の人生の中でも体験したことのない、新しい発見や学びも多いに違いない。

そう思いながら何故かワクワクした気持ちになりながら、一人LCCに乗り込むアラフィフ爺であった。

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