50代で始めた義父母との生活も2週間が過ぎ、リモートワークと介護の両立にも少しづつ慣れてきた頃、少しづつ義母の様子にも変化が見え始めてきた。
笑顔が徐々に減ってきたような気がしてきたのである。
日中はウェブ会議など調整しづらい仕事も入るため、その間は介護することはできないが、義母はスーパーや町へ出かけるのがとても好きで楽しみにしていたようである。
これまでは義父が車を運転して平日でも好きなときに自由に二人で出かけていたようだが、私が介護に来てからは義父に車を運転することは控えてもらっていた。
タクシーという選択肢もあるが、現状の行政支援では1割引でしか利用ができない。月に複数回乗ると費用的な負担も重く、我慢してもらう機会が増えるというのが現実であった。
高齢者ドライバーによる交通事故への心配
義父は80歳を超えているが、田舎での生活には車が欠かせず未だに運転免許の更新を毎年行っている。
前回の免許更新では1回目ではクリアできず、2回目でようやく合格したという状態でもあった。
しかも網膜剥離の手術退院直後でもあり、無理をさせるわけにはいかない。
自動車の運転は周囲に気を配りながら視神経を消耗させる。
高齢者による交通事故のリスクも勘案し、退院後は義父には運転はさせず、病院などへは自分が運転して送迎をするようにしていた。
義母は私が日中はリモートワークで外出したいタイミングで自由に出かけられないことでかなりイライラやストレスが溜まっていたのだと思う。
食事中もなにやらブツブツと独り言を言うようになっていた。
手足を広げてゆっくりしたいとの訴え
ある日、夕食が終わり後片付けをしていると、義母から突然このような訴えがあった。。
「あなたがいると家の中で自由に着替えたり、楽な格好で足を伸ばしたりできないから気が休まらない。いつまでここにいるつもりかしら?」
これだけはっきりと義母が私に言うのは初めてのことだった。
義母も女性である。私も50過ぎのおじさんとは言え、娘婿ということもあり相当気を遣って生活していたようである。
実は気付かないふりをしていたが、部屋の奥に高齢者用のおむつも隠してあった。
そういったものも義母としては私に見られたくなかったはずである。
もはや言い訳にしかならないが、毎日嵐のように忙しく、十分な配慮ができていなかった。
それらのストレスが日々蓄積され、感情が抑えきれなかったのであろう。
今考えるともっと優しく返せばよかったと反省しているが、私も思わず理不尽に感じてしまい、
「お義父さんの容態が落ち着いたらすぐに帰りますのであと、少しだけ我慢してください!」
と少しきつめに言い返してしまった。
老々介護が一番落ち着くという悩ましい現実
義母からすれば、毎日義父に介護をしてもらう生活が気兼ねなく安心して生活できる状態なのである。
義母もそれを一番望んでいる。
私に介護など頼んではいないのである。
私のような第三者が二人の日常生活に介入することなく、二人だけで楽しく暮らせることが義父母にとっても幸せなことなのかもしれない。
正直そうも思ったりした。
しかし、義父が網膜剥離にまでなってしまったのは日々の介護や家事の疲労が蓄積し眼に負担がかかったに違いないのである。
そういった矛盾こそが日本の老々介護の現場のリアルなのだとも思った。
極論、家事や洗濯など負担になりそうな部分だけでも家事代行をスポットでお願いするなどしながらて、私のような第三者が私生活に入ることなく、義父母だけで負担なく楽しく暮らせるような形も良いのではないだろうか、そんな選択肢もありだと考えたりもした。
慣れは良いことなのかもしれないが
お義母さんも私との生活に少しづつ慣れはじめ、言いたいことを言うようになってきた事はある意味では介護を長く継続していく面では良いことなのではないかとも思った。
普段一緒に生活していく中でお互い気を遣ってばかりいてはお互いに気が休まらずイライラも募って悪い方向に行ってしまうはずである。
言いたいことがあれば吐き出してもらったほうが良いのである。
義母は一見すると健常者と変わらない。
会話もある程度は成り立つので一緒に生活している自分でさえ高次脳機能障がいがあるというのは忘れてしまうことがあるほどである。
だからこそ介護する側としても「会議が終わってから」「もう少し待って」と義母の要求を多く断ってしまったのかもしれない。
全ての要求を聞いてしまっては、きりがなくなるのでそれも良くないとは思うが、もう少し柔軟に仕事を調整しながら義母の要望にはできるかぎり応えてあげたほうが良かったのではないかと反省した。
しかし、介護している立場からしたら、「いつまでいるつもり?」「いつ帰るの?」と言われてしまうと正直何のために来たのだろうとやるせない気持ちにもなってしまったりもするのだが、、
そういった感情のコントロールも含めて、介護は50代の自分にとっても日々勉強の連続である。
受け入れながらやっていくしかない。それが介護なのだから。