義父母の介護に来てから2週間弱が経過した。日々リモートワークしながら休憩時間に食事の準備や応対、片付けと奮闘しながらも、どうして続けられているのだろうか。
なぜこの役割を引き受けたのだろうか。
ある日の夜、夕食の片付けが終わりベッドに横になって天井を見ながらふと考えてみた。
頼られることの嬉しさ
普段の生活では仕事でも家庭でも、もう頼られることはほとんどなくなっていたが、ここでは毎日要望や依頼を受けながらも、必ず感謝の言葉を返してくれる。
そんな充実感があるから続けられるのだと改めて思った。
しかし、まだ2週間で義父母も少しは娘婿に遠慮したり気を遣ったりしているはずである。
お互い慣れてくればそういった喜びも、感謝の気持ちも減っていくのだろうか。
そんなことを考えたりもした。
そもそも自分はどうして妻の親の介護を引き受けたのだろうか
ウェブやブログを見ていると、とても多いのが女性の夫の両親、つまり義父母の介護に関する悩みや、それを原因とした離婚や別居、心の葛藤といった内容であった。
では自分にはなぜ同じような感情が生まれないのか、生まれてもおかしくないのになぜだろうか。
妻が喜んでくれるなら、妻の心の負担が少しでも軽くなるなら良いのではないかと介護を引き受けただけだと考えていたが、本当にそうか、もう一度考えてみた。
なぜなら、そこがいい加減だとやはり介護し続けるモチベーションが続かないと考えたからである。
根底にあるのは義父母への感謝と恩返し
1時間程天井を見ながら、自問自答しながら考えてみると、義父母には若い頃に損得抜きにお世話になったことしか思い浮かばなかった。
毎年帰省し自宅に帰った後に、いつか恩返しをしたいといつも思いながらずっと先延ばしにしてやれてこれなかったことが心の中のどこかに後悔としてあり、それを返せるチャンスだと感じたことが根底にあると分かった。
20代の頃、マンションを購入する時には何も言っていないのに頭金を返さなくて良いからと支援してくれた。
30代の頃、東南アジア数カ国で海外赴任をし、義父母の家がある九州が関東に帰るよりもはるかに短時間且つ安く帰国することができたため、毎年夏休みや冬休みは関東の自宅には帰らず、義父母の家で家族全員が集合して休暇を過ごすといったことが数年間続いていた。
そんなときも嫌な顔ひとつせず(本当は大変だったと思うが)、私も含めて家族全員に分け隔てなく美味しい料理や、お金が足りないだろうからと海外に戻る日には決まってお小遣いを持たせてくれたり。自分の息子のように接してくれたことが本当に嬉しく、今でもその時の感謝を忘れることはできない。
妻の負担が少しでも軽くなれば、妻が悲しまないように、というのは副次的な目的であって、一番は義父母に若い頃の恩義に報いたい。
という思いがあるからだと再認識した。
そうでないと仕事を抱えながら介護を引き受けたりはできないだろうし、引き受けたとしても気持ちも入らず数日も続かないであろう。
私の義父母への介護の原点はつまり、若い頃の恩返し。
義父母のためや妻のためというのは綺麗事であって、結局は自分の気持ちの整理や満足のため。
でもそれで良いのではないか。それで周りが少しでもプラスに働くのであれば一石二鳥である。
目的、モチベーションがはっきりしていれば少しは嫌なことや理不尽なことがあっても乗り越えられるのはないかと思ったし、なぜか肩の荷が降りた気がした。
人は目的のために動く。ということで原因ではなく、目的を明確にすることは実は大切なことだ。
またあしたから恩返ししていこう。