義父が退院してからは高次脳機能障害を持つ義母と聴覚障害6級且つ網膜剥離手術後経過観察期間にある義父双方の介助生活が始まった。50代で初めての経験である。
義父も退院後はなるべく目に負担をかけないよう安静にしていなければならずこれまでのような義母の料理の世話や介護は難しい状況であった。
義父母が寝る部屋の襖で仕切られた隣部屋に仏壇と介護用のベッドが置いてある和室がある。
その部屋には義母が退院直後使っていた介護用のベッドが置いてあったが、今は布団のほうが横になったり起き上がるときにつらくないということでほとんど使わなくなっていた。
私が介護帰省してからは、義父母が普段生活しているリビングの隣にあるその部屋とベッドを使わせてもらっていた。
義母は(高次機能障害になってからだと思うが)毎朝、とても早く起きてはテレビを見始める習慣があり、5時には起きてはテレビを見ながらひとりでなにかぶつぶつと話し始めるようであった。
毎朝どうしてもその音が気になり目が覚めることになるのだが、日々の介護と仕事の疲れからか、食事の後片付の後、義母との会話が終わる22時頃には、まぶたが重くなっており、就寝後は即爆睡する日々が続いていた。
だから、正直5時に目が覚めても、まだ寝ていたいというよりは、快眠で目が冴えた状態になっていた。
5時から起床する7時まではベッドに横になった状態で天井を見ながら、今日はあれをしてこれをして、、と予定ややならいといけないことなどを考え整理する時間に充てていた。
時には子供のことや、コロナで長い間会えていない会社の同僚のこと、普段何気なく接していた妻のことなど、普段あまり考える時間がとれていなかったなと反省しながら、ああそうか、こうしたら嬉しいんだろうな、とか、これはだめだったな、悪かったなとか、今楽しく生活できているのかなとか、身の回りの大切な人に思いを巡らせる時間がとても有意義に感じられるようになっていた。
介護帰省する前は7時頃起床し、顔を洗って会社(コワーキングスペース)に行く。という行動パターンの繰り返しで、考える時間など逆にとれていなかった。
短期間でも義父母の介護をさせてもらえたことで、今考えると、この時間が日々の精神的な疲れやストレスのリセットタイムになっていたのかもしれない。
着替えタイム
義父は気にしなくてよいのだが、義母も女性なので着替えが終わるまでは部屋で待機。
ただ一人で着替えをするのはとても大変なようで時間が結構かかっていた。たまに靴下などは履きっぱなしで布団に入っているようで着替えるのが億劫になっているようであったが敢えてそこは指摘することはなく自然に過ごしやすいようにしてもらうようにしていた。
途中からは発想を転換して少しくらいは着替えなくてもお互い気にならないような素材のものがあれば使ってみることにしたりいろいろと工夫してストレスをあまり感じないような環境を整えることにも注力したりもするようにしていた。結構小さいことであるが、相手(女性)にとっては気になるところがあるはずである。そういった障壁を取り除くこともストレスなく介護をする、介護をしてもらうためには必要な部分があるのではとも考えたりもした。
朝食の準備と朝ごはん
7時に起床してからは、義父母の布団を押し入れにしまって、前日の夜に炊いていたごはんの状態を見てから、味噌汁を作り始める。
義母は味噌汁が大好物なので、煮干しで出汁を取り味噌をとき、ネギ、豆腐、カットわかめ、油揚げを切って煮込むこと20分程で簡単な味噌汁の出来上がり。
おかずはこれも義母の好きな生卵と納豆と漬物。義父は焼いた卵が好きなのでベーコンエッグの目玉焼きをささっと作り食卓に出していた。
たまに前日のご飯が固くなって残っていれば卵とチャーハンの素と一緒に炒めてチャーハンを作る日もあった。
そこまで手間はかけていないが、毎日おいしいねと言って食べてくれた。
料理も美味しいと言って食べてくれると正直に嬉しく、楽しいものだなと感じることができたのは発見であった。
家でも何気なく出されていた食事にも妻が手間暇をかけて作ってくれている。同じように子どもたちや私の好きなものや健康を気にしてメニューを考えてくれていたはずである。
そう考えるとなにか1食1食の食事が尊いものに感じられるようになった。これも介護のお陰である。
ゴミ出しからリモートワークへ
朝食を食べ終わったら食器を洗って、8:30までに前日にまとめておいたゴミを集積場へ。
特にコミュニティの狭い田舎では分別をしっかりやらないと近所から直接苦情が来るそうで義母がとても気にしていた。
地域によって燃えるゴミと燃えないごみ、資源ごみ、埋立ごみ、プラの内容が違うことに50にして初めて知った。
ゴミ出しが終わると、義父母がテレビを見始めるのでようやく仕事部屋に入ってリモートワークのスタート。
朝礼のあと、それぞれの業務を開始。会議などがなければ集中して業務に取り組む。
作業途中には何度か義母が「お茶はどう?」「休憩したら?」とやたらノックをして入ってくるので気が抜けない。
会議中にもお構いなしに部屋に入ってくるためミュートと背景の加工は必須である。
義母もリモートワークの仕組みがよくわかっていないせいか、勉強中にごめんね。と仕事を勉強かなにかだと勘違いしているようであった。
とにかくKPI達成に向けて、仕事に支障をきたさぬよう配慮しながらその場をしのぎつつ、午前中の業務は終了。
昼食の準備と食事
11:30には午前中の業務を終え食事の支度に入る。ご飯は朝炊いてある残りがだいたいあるのでお昼に届く宅配の惣菜を温め、1.2品を沿えて食卓に並べる。ご飯がない時はそーめんなど簡単につくれるものを5分程で仕上げ食卓を囲んでいた。
朝バタバタして観れなかったNHKの連続テレビ小説を義父母と見ながらああだこうだ会話しながらあっという間に45分ほど経ってしまう。
食事の後片付けをして午後の業務にはいる。
銀行、郵便局への送迎
午後から再度業務に入る。午後は商談や会議が多く入っているため途中で抜けることができないが、たまに義母がどうしても急にに銀行や郵便局に用事があるということで送迎だけしてすぐに会議に戻るという状態であった。
あまり「今は行けない」と言っても理解してくれないというか、分別がなかなか付きづらい部分があるため、なるべく言われたら●●分後に行きますよ~。と言って少し待ってもらってから用事を済ませていた。
ただ、どうしても会議のファシリテーターをしたいた会議があり抜けられない場合は、断ってしまうこともあった。その日はやはり夕食のときも機嫌が悪く、もう家で仕事をしないで欲しいとはっきりと言われてしまうこともあって辛い気持ちになったこともあったが、そこはあまり深く考えることはしないようにした。
病気が悪いのであって義母には何の責任も悪気もない。ただ用事を済ませたいという気持ちだけが先行しただけであった、無理に義父に運転をさせて事故を起こさせるよりは少し我慢してもらうしかないのである。
そんなこんなで毎日午後も時間があっという間に過ぎていった。気がつくと18時になっており、定時でリモートワークをクローズした後は早速夕食の支度に入るのであった。
夕食の準備と晩酌
夕食はだいたい前日の夜に決めておいた。冷蔵庫の中を見て足りないものを近くのスーパーで買っておき、就業時間後はすぐに料理に取りかかれるように準備はしていた。
だいたい作るものはローテションで決めていたが、飽きが来ないように義父母の好きなものを取り混ぜながら添えるようにしていた。
時間が取れる時は野菜を切ってカレーライスを作ったりもした。簡単にできる割には、じゃがいもや人参が柔らかくよく味が染み込んでいると好評で義父母もおかわりをしてくれた。
食事の時は毎日ビールを1本だけ飲ませてもらった。味は格別で体も心にもしみる一杯であった。
食事の後片付けのあとは1時間程義父母とテレビを見ながら会話したり、昔話をする時間をとるようにした。
懐かしい昔話【回想療法】
義母は食事のあとに話をするのがとても楽しかったようで、毎日昔話に花が咲いた。
特に自分が小学生の頃に田舎で毎日往復3時間かけて学校に歩いて通っていたときの話や集落での友達との楽しい思い出、若い頃に学校の先生をしたいたときの生徒との楽しい時間や、私の妻が小さい頃の学校での話などつい最近あったことのように詳細に話をしていた。
後でわかったのだが、介護療法の1つに回想療法というのがあり、、昔の懐かしい写真や音楽、昔使っていた馴染み深い用具どを見たり、触れたりしながら、昔の経験や思い出を語り合う一種の心理療法でがあり、特に認知症の方へのアプロ―チとして効果が注目されているようであった。
これはそういった療法があるというのが分かったからかもしれないが、今考えると義母が昔話をしているときはとても表情が豊かになり、言葉もはっきりと歯切れよくなっていたのが印象的であった。
その時は会話もしっかりと成立し、受け答えもできているのに正直驚いた。
それは毎日夕食後に1時間から多い時で2時間、寝る前までいろんな話を聞かせてもらった。こちらとしても妻と結婚してからの義母しか知らなかったので話がとても新鮮で、妻も知らないような話もしてくれてなにかとても親近感が湧いた。
たくさん話しをして満足したのか話したあとはぐっすり眠ることができるようであった。
ブレイクタイム
義父母達が就寝した後は1時間だけ自由時間をもらった。1日をリセットするために自分にとってとても貴重な時間である。
義父母宅の近くには歩いていける距離にスターバックスコーヒーがあったので家を出る際にモバイルオーダーで注文してコーヒーを飲みながらソファーに座って本を読むのが至福の時間であった。
1時間程リラックスしてから、真っ暗の家にそっと入り、部屋で今度はスマフォ鑑賞。これまた至福の時間であった。
そんなこんなでベッドに入って30分後には寝落ちし爆睡する。といった毎日のルーティーンであった。