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高次脳機能障がいにおける回想療法の効果│妻の両親(義父母)介護日記

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50代の学び
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平日はあまり長い時間話す時間はとれないが、週末は夕食後に2時間ほどは義父母と会話をするようにしていた。

大掃除で昔撮影した写真や思い出の品が出てくる度に話のネタは尽きない。

気のせいかもしれないが、介護を始めた頃に比べて1週間程経った頃には会話のテンポや返しの内容が的を得るように、以前のような普通の会話のやりとりが徐々に成り立っていることに気づいた。

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小学生の頃の集落での思い出話

ある日白黒の写真が出てきたのでその写真についていろいろと聞いてみると、少しづつ思い出したように小学生の頃の話を教えてくれた。

義母の実家は海の近くの50名ほどの小さな集落である。義母の村には小学校はなく、隣町まで山を2つ超えて片道6kmの道のりを毎日集落の同級生と登下校していたらしい。

往復3時間以上はかかるのだが、学校が二時頃には終わってまた同じ集落の同級生と一緒に集団下校をするわけだが、その帰り道がとにかく楽しかったのだそうである。

道すがら毎日あったことを友達と話したり、途中で海に寄り道して砂浜でかけっこをして遊んだり、その寄り道が毎日たのしい時間であったことを嬉しそうに話してくれた。

また、ある日のこと、寝坊して同じ小学校で教師をする父親の自転車の後ろに乗せて学校に向かっていると、途中で集落の男のやんちゃな同級生に囃し立てられ、しまいには教師である父親の後ろ姿の頭の形が貝殻に似ているといってバカにされたという。

父親を馬鹿にされ怒った義母は自転車を降りてその男の子たちを一人でとっちめたのだという。今の温厚で優しい義母からは想像できない一面を垣間見ることができた。

自転車の懸賞に当選した出来事

義母の集落では当時子供が自転車を持つということはなかったという。親も限られた職業の大人が乗っていたいわゆる高級品であった。

何の懸賞だったかは忘れたらしいが、ある日、小学生だった義母に自転車が当選したらしく、新しい子供用の自転車が運ばれてきたという。

集落の小学生では誰も持っていない自転車に乗れたということでとても自慢げで嬉しかったのだという。それから義母は学校の近くの親戚の家まで自転車で颯爽と通い、その道すがらそれを見た小学生達から憧れの眼差しで見られていたそうで、それをきっかけにその集落で自転車を持つ小学生が一気に増えたのだという。

他愛のない日常を事細かく、感情豊かに話してくれた。

時間もあっという間に過ぎていき、後で妻に聞いたら、妻の知らない義母の話も多かったようで、妻もとても新鮮であったという。

それが回想療法になったかどうかはわからないが、写真を見ながら、少しづつ昔の話を紐解いていく過程では記憶も鮮明に蘇ってくることができたように思う。

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