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日常生活で体感した高次脳機能障害の症状とは│妻の親(義両親)介護日記

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50代の学び
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網膜剥離で入院している義父が退院するまでは義母との二人暮らし。義母は高次機能障害はあるが、会話は普通に成り立つ(ように見えている)。

義母は初見の方から見れば健常者と何ら変わりない。普通に病状を知らない方が初めて接する時などはとてもそんな障害があるとは見られないため相手も健常者として会話を成立させてしまうのである。実はそれが後々厄介なことであることに少しづつ気がつくことになった。

生活を共にしていくと徐々に義母にはやはり障害があることに気付かされることも多くあった。

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探しものがとにかく多い

とにかく何かを常に探している。

少し前に見ていた書類や今、使っていた道具を少しすると探し始めることが多いことに気づく。

つい先程、話して納得してくれていたことも、少し経つと再度質問され、その後も同じことを繰り返し聞いてくることも頻繁にあった。

何かをしようとして立ち上がるものの何をしようとしていたのかを忘れてしまい座り直すという場面もよく見られた。

曜日感覚のズレ

ダイニングには大きなカレンダーが貼ってあり、日付の下に予定がマジックで記入されていた。

しかし、毎日朝起きてからカレンダーを見ても今日が何曜日かが分からず、いつも違う曜日だと勘違いしては違う予定の準備をし始め、今日は違う日だよと諭すと、納得して落ち着く。

というやりとりの繰り返しの日々。

どうしても曜日が把握できていないように感じた。

薬の飲み忘れ

義母は毎食後必ず薬を服用しなければならなかったが、飲み始めから飲み終わりまで1つ1つ説明しながら服用しないとなんとも同じ薬を飲んでしまったり、飲み忘れてしまう場合があった。

その日飲むべき薬はピルケースに入れるなどして飲んだら飲んだことが分かるような仕組みにしておかないと目を離せないことを学んだ。

わがままになる

義母は若い頃は教師や塾の講師などをしていたこともあり、聡明で我慢強く、人にあまり自分の要求を求めるような性格ではなかった。どちらかというと人に尽くすタイプの人間である。

しかし、たまに障害を発生してからは不満をあらわにするようにもなり、ある意味人間的になったというか、一度違うと思えば聞き分けがなくなったり、少し子供のように感じる場面も見られるようになった気がする。

私は義母から見れば娘婿のため多少気を遣っているが、近くに住む実の息子には不満を多く漏らす場面にもよく遭遇した。

親族に電話をしまくる

普段は電話がかかってくるほうであったためにそこまでの回数だとは思っていなかったが、隣りにいて見ているととにかく近い親族に1時間に一度は携帯電話から電話をかけ続けていることがわかった。

急に何か不安なことを思い出しては躊躇することなく携帯の番号を探しては電話をかける。

出ないと不安になって間を置いて繰り返し複数回電話をしていた。

不安なことを次から次へと思い出しては突発的に電話をかけるという行動が良く見られた。

着替えや風呂が一人では厳しいことも

義母は要介護2のためゆっくり時間をかければ一人で着替えができ、風呂場にも手すりなどの介助用品を設置することでシャワーなど湯をからだに書ける程度は自分でも行うことができる。

ただそれもかなり体力を消耗するようで数日に一度という具合になるのはどうしても仕方なかった。

そこで気になったのが靴下や下着などの取替頻度。私が毎日洗濯をしていたためわかったのだが、靴下や下着を変える頻度が毎日ではなく数日に1回になっていた。

数日同じものを使っていれば臭いなども気になるだろうから気にならないツールなども用意してあげることで少しでも気が和らぐのかもしれないと感じた

毎日洗濯するから下着は変えたほうが良いからと義母に伝えるよりは、

日々取り替えることによって気苦労をかけてしまうのであれば、そのまま過ごしやすいようにしてもらうのが一番だと感じたためである。

介護には匂いに対する対策も生活をともにする介護者、被介護者双方にとってとても大事だと実感した。

臭い対策に特化したこれらの専門ショップでいつくか良いものが探せたので紹介しておきたい。同じような悩みを抱えている介助者は実は結構多いようである。

”3日履いても臭わない靴下”などは介護の現場では重宝するはずである。

仕事場に何度もコンコン

昼食、夕食の休憩時間を除き、就業時間中はリモートワークに集中するため違う部屋でパソコンに向かっていると、1時間毎に部屋をノックしては様子を伺いに来る義母。

寂しいのか不安なのか、ちょっとした捜し物や用事といった義母の依頼に対応しつつ業務をコントロールしていく必要があった。

先ずはそういうものだと気持ちを切り替え

ここ数年はコロナの影響もありお会いすることがなかったため、今回一緒に生活する前までの義母の印象は若い頃に正月やお盆の際に子どもたちと一緒に帰省の際にお世話になった義母のままであった。

聡明で誰にでも優しく、誰よりも気を遣い、民生委員として地域のために身を粉にして人のために尽くしていた義母。誰からも愛され感謝される慕われる存在でもあった。

それは家族や親戚からも同じ。

それだけにその変貌ぶりは最初は受け入れがたく、戸惑うばかりであった。

最初はどうしても過去の義母と比べてしまい、そのギャップに暗い気持ちになってしまう自分がいた。

そういった感情や表情は義母にも当然伝わっていたのだろう。

いつも一緒に居た義父がいないことも重なり、笑顔も少なく、疲れた表情をするようになっていた。

しかし、徐々に考えを切り替えるように変えていった。

若い頃の義母は私や家族の中ではその頃の義母のまま消えることもなければ変わることもない。

全ては病気の症状のせいで義母に何の責任や悪気はない。

これまでお世話になった恩返しが少しのあいだであったとしてもできる機会を神様にもらったのだと捉えてできることをさせてもらおう。

と。

そう考えるようになってから、少し楽な気持ちで義母に接することができるようになった。

そうすると、こちらの気持ちが和らいだことが伝わったのか、義母もリラックスできるようになり、会話にも笑顔が見られるようになった。

大切なのは介護をする私の精神状態や気持ち、表情なのだと学んだ。

こちらが不安になっていては介護を受ける義母も不安になってしまう。

先ずは状況を受け入れて介護を楽しむくらいの軽い気持ちでやってみよう。そう考えを改めることにした。

そんなこんなで試行錯誤で過ごしながら3日が過ぎた頃、義母と楽しく夕食を食べていると、義父の携帯電話から連絡があり、明日退院するから迎えに来てほしいとの連絡が入った。

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