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夫婦喧嘩と老々介護を担う義父の心的ケア│妻の親(義両親)介護日記

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50代親(義両親)の介護
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高次脳機能障害の1つの特性に怒りやすくなるという症状があるとは事前に聞いていた。

介護に来てからはおだやかな毎日が続いていたが、もしかすると義母も気を遣って感情を抑制していたのかもしれない。怒るといった状況はほとんど見られていなかった。

しかし同居生活も1週間が過ぎ、慣れてきた頃、その事件は起こった。

高次脳機能障がいの義母は食後に必ず決められた薬を飲むこととなっている。症状によって3種類の薬を朝昼晩の食後に服用するのである。

しかし義母は今飲んだこともたまに忘れてしまうことがあった。

義父も自分の薬を飲まなければならないのでたまに義母が薬を飲んだのか、どれを服用したのかを見落としてしまうことがあった。

ある夕食後の事、食器洗いをしているとリビングから義母と義父が言い争いをしているのが聞こえた。原因は義母が飲まなければいけない薬を飲んだ飲まないで、恐らくは残りの数量を見ると飲んでいないのが正解だと思うのだが、義父は飲んでいないなら飲まなければいけないと言い、義母はいま飲んだばかりだと言い張って聞かない。

薬は毎日服用するよう医者には言われているが、義母が理由や状況を説明してもどうしても自分が正しいと言い張るものだから、義父は我慢の限界に達し強い口調で義母に言ってしまったようである。

義母は更にへそをまげて、もう今日は飲まない!と癇癪を起こし、意固地になってしまっていた。

若い頃教師もしていた義母はいつも自分のことよりも他人のことを優先し、義父に逆らったりすることは見たことがなかった。こんなワガママを言う義母は見たことがなかったが、おそらく、これも高次脳機能障害の1つの病状なのだろうとその時、思った。

二人の喧嘩に口をはさむわけにもいかず、台所で食器洗いをしながらおさまるのを見守っていた。

日課の夫婦での散歩

義父は言いすぎてしまったと思ったのか、その場は義母の意見を優先しそれ以上強制することはなかった。

少しすると二人は外に出ていった。毎日リハビリを兼ねて義父が義母を連れ出して近所に散歩に出かけていたので、あるきながら話でもして仲直りして帰ってくると思っていた。

しかし、1時間しても帰ってこない。

すると、義父だけが帰ってきた。

散歩の帰りに近くのスーパーに寄ったが、そこでも小さなことで言い争いになり、一人で帰ってきたというのである。

聞くと義母が調味料が切れているから購入すると言い出すと、それは家にストックがあると義父が説得したが、いやもうない、あるといった言い争いになり、では好きにしたら良いと置いてきたというのである。

行き慣れたスーパーで心配はないとは思ったが、それにしてもそれから30分経っても帰ってこないのでいよいよ心配になり、義父はスーパーまで見に行くといってでかけていった。

義姉からのLINEで一安心

少しすると、近くに住む義兄のお嫁さんからLINEが飛んできた。義母が家に来ているから安心してという連絡であった。家に来るや否や義姉に一通り義父の不満をぶつけてきたようで、話して落ち着いたら帰るだろうということであった。

案の定それから30分程してから義姉の中学生の息子が義母を家まで送ってくれた。

家に帰ってからもなにかぶつぶつと独り言で不満を漏らしていたが、その日は疲れもあるとして、早めに就寝してもらうことにした。

翌朝起きて、挨拶をすると昨晩のことはすっかり忘れており、今日は何曜日?といういつも通りの義母の姿があった。

その都度ヒヤヒヤして肝を冷やすことが多いが、翌日にはケロッと忘れていることがそれからも頻繁にあった。

一喜一憂しないことが大切だと感じた。

心配なのは義父の心的ストレス

義父も義母の病状のことはよく理解しているので瞬間的にカッとなって喧嘩になってしまっても、最終的には義父が必ず引くようにしているようであった。

その時は喧嘩も収まり翌日には義母も忘れているので事態は収拾したように見えているが、義父は聴覚障害はあるものの普通の健常者と変わらないため、前日のことも当然覚えているだろうし、ストレスを抱えたまま相当蓄積しているのではないかと思って見ていた。

今は自分が家事や洗濯など身の回りのことを介助できているため義父も少しは休めるが、二人だけの生活に戻れば、義父の身体的、心理的な負荷やストレスを逃がす方法をなんとかしなければ、いつかは爆発してしまうのではないか、長くは持たなのではないかととても怖い感情に襲われたのであった。

ここ(義父の精神的なサポートやストレス対策)も早急に解決していかなければならない。とそう強く感じた。

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